Sporadic, But Never Quit

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USGKZ インタビュー02

尾道編 初バンドのスタート(The CLS~Hip Hole~尾道スペクター)

 ▶中1でギターを始めて、初バンド結成はどういった経緯だったんですか?


USGKZ「中2くらいまではギターだけ弾いとったんよ。中3になって学校の友達でバンドやりたいって子が2人おって、バンド組むことになったんよね。1人はドラム、1人ギターやりたいってなって、俺はギター弾けるけど、本人がやりたいならやったらいいじゃん、って。俺バンドをやる上でそんなにパートにこだわりないから、じゃあ俺ベースやるよ、やったことないし、ってバンド始めたんよ。だからバンドを始めたのはベ―ス。」


▶それは3ピースですか?


USGKZ「うん、ギターボーカルの3ピースで、ユニコーンジュンスカコピーバンドだったね。」


▶当時はどうやって練習していたんですか?


USGKZ「尾道に練習スタジオが1軒だけあったんよ。あるにはあったけど、すごい高くて入れなくて。で、ここがいい話なんだけど(笑)。中学校に吹奏楽部のドラムセットがあるから、練習させてくれって先生に言ったら却下されてしもうて。他に仲の良い先生がおったから相談したら、「日曜日の昼の何時から何時まで学校に来てあけてやるから、その誰もいない時間帯に練習しろ」って言ってくれて、週1回学校で練習させてもらった。」


▶かっこいい!すごい良い話ですね。


USGKZ「あの時の村上先生のおかげで、中学生でもそれなりにバンドであわすっていうことが出来るようになった。」


▶ベースはどこで入手したんですか?


USGKZ「どうしたんやろなあれは、確かリサイクルショップで安いのを見つけてどうにかして手に入れたんだと思う。それで毎週日曜に練習して、卒業式が近づいた時にライブをしてみようと思い立ったんよ。尾道市向島町の公民館に行って、「中学生なんですけど、機材持ち込みでライブをしたいんですけど」って言って申請して、卒業式の後に卒業ライブやったんよ。」


▶青春ですね。


USGKZ「学校の子らに告知して50~60人くらい来てくれたかな。これが人生の初ライブ。コピーバンドだけどね。」


▶それはジュンスカユニコーンですか?


USGKZ「Ramonesもあったと思う。」


▶中学の頃に聴いていたのはユニコーンジュンスカレピッシュがメインでしたか?


USGKZ「それとすかんちSONY系だね(笑)。」


▶学校には他にバンドはいなかったんですか?


USGKZ「同年代ではなくて、1年上の先輩でおったね。生徒会長やっててドラムがすごい上手い人がいて、後にD-SHADEっていうソフトビジュアルのバンドでプチブレイクしてたな。」


▶中学卒業後はご自身のバンドはどうなったんですか?


USGKZ「3人とも同じ高校いったから、続けてたね。高1から地元に1軒だけあったルパンっていうライブハウスに出始めた。」


▶ライブに出ていたのはいわゆるブッキングライブみたいな感じですか?


USGKZ「そうそう、ライブハウスのブッキングマネージャが楽器屋の店員もしてて、その人にお願いしてたね。この時もまだコピーバンドだったけどね。だけど高2の時に解散してね。確かドラムとギターが喧嘩したんかな。俺はギターの奴と一緒に他の高校のドラムとギターの2人で、新しく4人のバンドを組んだんよ。その4人で高2の時に、ティーンズロックフェスティバルに出たりしてたよ。当時17歳で、年上の人もいたけどベストベーシスト賞をさらっていったんが多分俺の高校時代の一番輝きなんちゃうんかな(笑)。」


▶4人組になって演奏する曲も変わりましたか?


USGKZ「Mötley Crüe とかSKID ROWとかやってたね。」


▶それは4人皆さんの好みですか?


USGKZ「俺も好きやったしね。そんで高校3年生になって、卒業を控えてライブをしたいっていう話になったんよ。俺の行ってた高校は3年に1回しか文化祭がなくて、俺のは高校1年の時に終わってるから、自分の学校では出来んのよ。でもドラムとギターの奴は他の学校だったから、その高校の文化祭に無理やりでたな。懐かしい。」


▶文化祭の後、そのバンドはどうしたんですか?


USGKZ「文化祭のライブで解散したんかな。そのあと4歳年上の先輩がやってるパンクバンドに入って。その年上の先輩らがおもしろくて。この先輩たちとオリジナルの曲を作ったな。」


▶上杉さんがパンクを聴き始めたのはこの時くらいですか?


USGKZ「中2の時くらいに、なんかでRamonesを知ってめっちゃ聴いとったな。あとは中3やったか高1やったか、BSでウッドストックを甦らせよう、みたいな番組があって。見た人はみんな覚えていると思うけど、客席から泥を投げつけられまくってるGreen Dayが映っててなんだこのバンドは!って衝撃受けて。自分のバンドではハードロックやってたけど、それからはRamonesとかGreen dayNOFXRANCIDなんかのメロディックパンクを聴いてたな。全部れいこう堂にあったから借りてね。」


▶私もその番組見ました、衝撃でしたよね。当時いわゆるAIR JAMムーブメントで、日本ではメロコア系バンドが山ほどいましたけど、日本のパンクは聴いていましたか?
USGKZ「あんまり知らなかった。でもバンドの年上の先輩が90分くらいのミックステープ作ってくれて存在は知ってた。テープにはBlow One's Cool、Slime Fisher、Nukey Pikesが入っててかっこよかったな。」


▶文化祭終わって先輩のバンドに入ってますが、卒業後に脱退されたんですか?
USGKZ「大阪に来てからも1年くらいはライブするときに尾道帰って活動は続けていたな。大阪でバンド始める時にそのパンクバンドは辞めたね。」


▶ちなみに3つのバンド名は?


USGKZ「えー(照)。」


▶中学生のころのバンド名は恥ずかしかったりしますよね(笑)。


USGKZ「えーとね中学生の時のバンドはThe CLと書いてザ・クールやったな。」


▶オーを外すセンスが良いですね、中学でこれなら結構かっこいいですね。


USGKZ「なんか今見たらかっこええな、革ジャンで3人でやるみたいな(笑)。」


▶2つ目のハードロックバンドの名前は?


USGKZ「当時アスホールっていう言葉を覚えて。けつの穴なのになんでHip Holeじゃないんやろと思って、Hip Holeの方が直接的でいいなって話になって、Hip Holeだった。その後のパンクバンドは、暴走族的な名前でいきたいってことで尾道スペクター。」


▶本当に暴走族みたいな名前ですね(笑)。


USGKZ「ちなみに尾道スペクターはあの町では数少ないパンクバンドだったから、Snuffy Smileのバンドが福山にライブに来た時に、一緒にライブ出たことがあったな。」


▶当時Snuffy Smileのバンドっていうと、どのバンドですか?


USGKZ「Just One DayとSawpitがツアーできてたな。Just One Dayのドラムの人がカバンにBlewのパッチつけてて、「Blewすごい好きだからください!」って言ったら、しょうがねぇなぁ、って言ってくれたんだよね。」


▶またいい話が(笑)。